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Lesson Transcript

僕、正直、ミシュランにしてもベスト50にしても
それをどうしたいっていうような感じで
料理を作ってるわけではなく、お店を作ってるわけじゃないんで
とにかく、僕らが常にやってることは
目の前に来たお客さんが楽しんで帰ったか帰らないか
そのために自分たちができることを精一杯やる
っていうことに、やっぱり一番力を入れているといか
あとは、何度か来てくれてるリピーターの人が
1回目よりも2回目の方がやっぱりなかなかハードルが高くなるので
常連さんが、いかに飽きないで
ずっと来続けてくれるかっていうことの方が
意識はするかもしれないですね
なので、ミシュランの調査員かなーとか
ボーターの人かなーとかっていうことは
基本的にほとんど気にしないでやってますね
それよりも大切なのは、今日来た人が
楽しんで帰ってるかどうかっていう部分なんで
まず、自分が何のために料理を作るのか
誰のために料理を作るのかっていうことが
根底にないと、やっぱり長く楽しく続けていくことは
できないと思うんで、例えばミシュランの
星を撮るために目標としてやるんだれば
星を撮ったら、その先がもうなくなっちゃう
そこは気にせず、まず自分が一所懸命お客さんと向き合うことを大切にしてけば
いつの間にか、星も撮れてるし50にも入ってると、僕は思います
料理に興味を持ったきっかけとか
食べることが好きになったのは
母親の影響がとても強くてですね
母親が芸者さんをやっていて
両邸さんに呼ばれて
日本舞踊、シャミセン、あとはおこと
などをやるんですけれども
両邸さんってやっぱり料理がすごい
僕らが食べたことない物がたくさんあって
そのお土産を家に持って帰ってきてくれたんですね
なので僕が小学校の頃から朝起きると
両邸さんのお弁当だったりとか
お料理が置いてあってですね
それを食べるのが楽しみで楽しみで
仕方なかったというか
なので子供のうちから他の子が食べたことないものを
たくさん食べたり、修行先の親さんの
白生きている姿を見てたりとか
そういったものが子供の頃から印象的に
このまんま料理人になるために僕はいろいろ子供の頃からやっていたのかなと思います。
母親は料理がとても上手だったんですね
なんか僕たちがお腹すいたらすぐパッと作るとか
魔法みたいな感じで
僕の中で一番印象的なのは朝起きたら
お味噌汁とご飯とお漬物が
必ず用意してあって炊きたてのご飯で
母親の仕事っていうのは結構やっぱり大変で
夜ずっとお仕事で帰ってくるの朝方になって
朝になって
僕たちに朝ご飯を食べさせてから
寝るみたいなのが毎日だったので
相手のことを思って作ることであったりとか
温かいものを食べてほしいなとか
そういったことを考えながら
料理を作れるようになったのも
母親のそういう気持ちだったりとかするのかなとか
思ったりします
僕が初めて働いた場所が母親の入っていた料亭さんなんですね
その頃はお客さんを見ることができなかったんですね
キッチンが別になっていて
お客様はお座敷といって
全く違う場所にお客様がいて
1年2年してある程度自分も2年3年と経って
料理を任されてもらえるようになった中で
自分にもある程度自信がついてきたりとか
こんなものを作れるようになって任されるようになった
っていうものとかがあったんですけども
でもやっぱりお料理を出して戻ってくるお皿を見ると
残ってることがあるんですよね
なんでこんなに美味しいしこんなに一生懸命作っているのを残すんだろう
って疑問に思って
家に帰ってから母ちゃんに
なんで今日の日と食べないのかなって話をしたら
あなたバカじゃないのって80も超えたお母さんが
あんなの全部食べれるわけないじゃないって言われて
僕はその時に言われたものを作っているだけで
誰が食べるとかっていうことを一切考えずに作っていたんですね
だからそれは食べないよねって
食べれないよねって思って
なのでそれからはやっぱり
どういう人がお客さんなんだろうとか
どんな人が食べるんだろうっていうものを
やっぱり考えるようにもなったし
それこそこっそり行って
調理場から抜け出してどんな人なんだろうって
そっと見たりとかして
ああこういう人なんだとか
でも僕らの仕事は
親子さんに言われたものをしっかりやらなきゃいけないんで
母親が入ってるんでちょっとちょっとって呼んで
どんな人って言ったら結構年齢が高めだから
って言われたら
親子さんに分からないようにちょっとちっちゃめに
切ったりとかして出したりとか
したりとかして
自分なりにどうやったら食べてもらえるかな
っていうことを考えながら
だから作りたいものを作ったりとか
っていうことももちろん大切なんですけども
やっぱり料理人として
僕の中ではやっぱり
食べてもらいたいとか
あとは相手が食べたいものを作りたいとか
っていうことを考えるようになりましたね
29歳の時に
人望町という場所ですね
かぐらざくから行くと
本当にすぐの場所なんですけれども
そこの場所でお店を始めることができて
まあ本当は30歳ぐらいに始めればいいかな
と思ったんですけど
縁があって
大通りから一本路地に入って
細い道を入って行って
ある一軒屋だったんで
なかなか見つけることができないような場所だったんですね
僕の前に3軒お店が入っていて
2年で3軒ぐらい買うようなお店で
あまり長続きしないようなお店で
日本人的には
あんまりいい場所じゃないんじゃないのか
とかっていうのはいろいろあったんですけど
でも僕の中では
どこでやっても一緒だろうな
っていうのは思ってたので
お店をオープンするにあたって
やっぱり緊張もしながらドキドキしながら
どんなお客さんが来るんだろうなって
思ったんですけど
初めて来た一組目のお客さんが
今でも本当に忘れもしないんですけど
入ってきて
アラカルトだったんで
これとこれ食べますみたいな感じで選んでくれて
帰り際に
このお店は1年で潰れるからって言われて
なんか料理出したものが悪くて
そう言われたのかなと思ったら
ここのお店は入ってもすぐ潰れるお店だから
この場所は良くないからって言われて
そう言われたことによって
ショックもあったけれども
逆に
でも逆に
じゃあ絶対1年じゃ潰さないっていう風な
でもそのお客さんも
初めに
その一回来たきりでも
その後は一回も来てないんで
本当にお客さんだったのかなとか
なんか
実は僕たちを
頑張らせるための
神様だったのかなとか思ったりとか
陣亡帳っていう場所だったんで
なんか
そういったことも
なんか考えながら
スタートしたお店でした
今はコースメニューなんですけども
ずっとアラカルトのメニューをやってて
来たお客さんに食べてほしいものを出してたりとか
それこそ初めの2年は
天ぷらとかお刺身とか焼き魚
焼き鳥とか
っていうものを
ベースで作りながら
自分たちが作りたいものを少しずつ
作ってったりとかして
陣亡帳っていう街が出版の街で
和食屋さんっていうよりは中華料理が多くて
でもみんなご飯を軽く食べたいんだけど
食べる場所がなくてみたいなことを
営業していくうちに気づいて
だったら夜9時くらいから
ご飯とお味噌汁と
ちょっとした定食みたいな感じで
作るから来てくださいとか
っていうようにしてたら
みんながすごいこう
自分の家のキッチンみたいな感じで
使ってくれるようになって
陣亡帳で9年僕お店をやったんですけども
日本の若い方や海外の人がたくさん来てくれて
そこで人間関係ができて
彼に任せとけば
伝に行けばおいしいもの食べれるよ
だから今度お任せで作ってよっていうふうに
お客さんが2年くらいかけて
言ってくれるようになって
伝はお任せのメニューだけを
ご案内するようになって
でもそのお任せのメニューなんだけど
相手が食べたいものとかを
色々考えながら作れるようになったというか
そんな勉強をたくさんしましたね

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