千利休 |
日本文化に関心の高い皆さんであれば、耳にしたこと、あるいは実際に体験したことのある人もいるであろう「茶道」。 |
この茶の道において、偉業を成した人物といえば「千利休」です。 |
1522年、現・大阪府の商家に生まれた彼は、16歳で茶の世界へ。 |
当時、「茶の湯」と呼ばれていた茶道は、裕福な武将や商人たちに愛好されていたので、茶碗などの道具がどうしてもきらびやかで高価なものになりがちでした。 |
しかし、利休の師は「簡素な道具を用いても、心をこめて茶を点て、相手をもてなす姿勢こそが尊い」と説きます。彼もその教えに則って「侘び茶」という様式を完成させました。 |
この「侘び」とは、「わび(侘)、さび(寂)」の「わび」。日本の美意識の一つで、「余分なものをそぎ落とした質素なもの、静かに時を重ねて味わいを増したものに『美』を見出す感性」という意味です。 |
話を戻すと、利休が追求した茶の道とは、心を落ち着けて茶と向き合える空間にて、心惹かれる道具を用い、客人においしい茶とくつろぎのひと時を味わってもらうことでした。 |
そのため、茶碗や茶器などの茶道具に始まって、茶室に飾る掛け軸や花、茶室そのものの広さや窓からの採光といった、茶を喫する際に関わる全てのものを美しく調和させて、客を迎えることを目指します。 |
こうして、茶の湯は「総合芸術」と評価されるようになりました。 |
権力におもねることなく、著名になっても驕ることもなく、一筋に茶の道に生きた利休の生き方もまた、多くの日本人に支持されています。 |
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